2016.11.10

写真を撮る。そこにはサッシやカーテンやソファーが写っている。しかし僕が撮りたかったのはそれら自身ではなかった。では何を撮りたかったかというと、その周りの空気感だったり雰囲気を写真で撮りたかったのだ。被写体はあくまでモチーフにすぎなかった。僕たちの身の回りは重層的に色々なストーリーが積み重なっている。ふと魅力的な空気感をまとった被写体に出会うことがある。その時に積み重なったストーリーの中から一つを切り取り、写真に収める。それは言葉にして伝えることが難しい。正しく言えば言葉にした途端に陳腐化するので、目の前の空気感をそのまま伝えたい。モチーフがまとった空気感を伝えるツールとして写真はとても有用だと思う。

近所を散歩してみると、一見なんでもない建物なのに、とても魅力的に感じる建築に出くわすことがある。魅力的に思わせる根源は何なのか、部分的に分析を試みてみるが、全体を見ても部分を切り出しても普通の建物にしか見えない。外壁は吹付けタイル、普通の屋根がかかり普通の窓が開いていて、特別な装いはどこにも見当たらない。なのにその建物がまとう空気感に惹きつけられてしまう。それは写真を撮る時のあの感覚に似ている。(ただし建築がまとう空気感は、そのスケールの大きさからか、多くの場合写真に撮ることが難しい)

逆の話をすれば、石を貼れば必ず高級感が出るわけではなく、下手に使えば、多くのマンションのエントランスがそうであるように、チープに見えてしまうこともある。素材には素材そのものに良い悪いがあるのではなく、素材が持つ空気感みたいなものに価値があるからだ。だから使い方によって良くも悪くもなる。

設計の日常は理詰めで行われる。目地の合わせ方や色のバランス、要素の扱い方や見せ方などなど。ただ理屈で詰めて行ってもなかなか良くならない。手を替え品を替え試行錯誤が続く。それは空間があの空気感を纏うまで続けられる。そしてある瞬間、一部分を操作しただけで今までバラバラな部分の集合にしか見えなかった空間が、それぞれが収まるところにカッチリ収まり、全体的な空間が保たれる時がくる。それは設計の過程で何度も起きる。

理論は大事だが、石と同じように、それ自体に惹きつけられるわけではない。なんかいい感じ、というよくわからないものを大事にしたいと思う。

鎌松亮 ryokamamatsu

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