高校3年生の年明けだったと思います。姫路の祖父母に連れられて京都の伏見稲荷大社に初詣に行った事があります。祖父母は自営業で時計メガネ宝石店を営んでいました。毎年年明けには稲荷大社にお参りをして、昨年の商売の無事を感謝し、今年の商売繁盛をお願いしているということをその時初めて知りました。
企業に勤めていた頃は、目の前の仕事に夢中になり、先を案じなくても毎月給料が入ってくる状態がずっと続くものだと錯覚しがちでした。栄枯盛衰、だからこそ節目節目で無事を感謝することができ、一歩ずつ大事に歩いている、なんとなくは生きていない、そんな祖父母の姿がかっこよく見えたのを覚えています。
祖父母の姿を見てきた影響か何かの縁か、私も今年独立し設計事務所を開設することになり、あの時の二人をなぞるように、商売繁盛を願い浅草鷲神社の酉の市にお参りしてきました。今まで初詣やお参りは風習として行っていたところがありましたが、初めて自分の身に降りかかるものとして実感する事ができました。
あの頃の私のように、家族に連れられて参拝に来ている10代くらいの子が、あの時の私と重なって見えました。
鎌松亮 ryokamamatsu