note - 豊洲の空気感とDIYのメンタリティ | note architects
2017.01.29
豊洲の空気感とDIYのメンタリティ

地元の豊洲は、かつては工場と倉庫ばかりの街でしたが、今では再開発が進み、人口も増え、街として大きく発展してきています。

地元が発展するのはうれしいのかと思いきや、豊洲に帰る度にある違和感を感じて仕方ありません。

この街の生活は与えられすぎではないか。

石川島播磨の造船所が撤退し、更地になったところに1からつくられた街。
住んでいる人がいないので、外から人を呼ばなくてはならない。
外から人を呼ぶためには、住みやすい街でなくなくてはならない。
マンションを買い、引っ越したときには住みやすい環境が整ってなければならない。
サービスが充実していなければならない。
与えていかなければならない。

そうでなければ不動産は売れない。

住んでいる人のほとんどは外部から引っ越してきた人。
彼らに与えるために作られた街。

与えられることに慣れてしまった人は、相手に期待し、期待が外れるとその気持ちは「クレーム」という形で表れてくる。
豊洲では、お店が客を恐れているような雰囲気を感じた。
(余計なことをするとクレームになるので)必要以上のことはしない。
質問をしても(責任が取れないので)お答えしかねます。
大きなモノを運ぶのを手伝ってと頼んでも、お客様の責任範囲でお願いします。
お店とお客との良い関係がつくられているのだろうか。
住みやすい街にするためのサービスから、自分の身を守るためのサービスへ。
ホームセンターで、店員とぶつかったただけで、警察を呼んでいるおばあさんがいたな。。。

この街では、与えられることに慣れてしまって感覚がゆがんでいくのではないか、という危機感をいつも感じる。
大学生時代にはかつて街にあった工場や倉庫のように、この街から撤退したいとばかり思っていた。

当然、豊洲が便利で住みやすいという人がいても、価値観の違いなのでそれはそれで良いと思う。

ただ、自分の生活くらい、自分の責任でつくる、自立した人になりたい。
楽しく、立派に。

自分がほしい環境は自分でつくる。
私が建築を始めきっかけには、このような気持ちが含まれていたように思う。
そもそも自分の部屋を居心地良くするために、建築に興味を持ち始めたんだったな。

そんなことを思い出しながら、事務所の家具をDIYで作っている毎日です。

鎌松亮 ryokamamatsu

2017.2.28 DIYのことを書こうと思ったのに、主題がだんだんずれてしまいました。

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